愛国心を持つこと

皆さんには愛国心がありますか?

 

こういう時はっきりとイエスと答えられる方はなかなかいないでしょう。

日常で使う言葉ではないですし、何だか「愛国心」という言葉に恐怖感すら抱いてしまわないですか?

戦時中を彷彿とさせるようで・・・。

 

冷静に考えると、その考え方こそ違和感があるのです。

自分の国を愛するって自然なことですから。

 

例えば人にはそれぞれ、ふるさとがあります。

ふるさとを好きだと言っても誰も何も疑問を持ちません。

規模こそ違えど、自分の国を好きというのは同じことなはずです。

 

北海道がふるさとの人は北海道出身であることを誇りに思い、沖縄がふるさとの人は沖縄出身であることを誇りに思います。

なのに日本人であること、日本出身であることを誇りに思うということを公言する人をあまり聞かないのはなぜでしょうか。

 

お気づきの方もいるかと思いますが、日本の学校教育が大いに関係しているのは否めないでしょう。

よくメディアで日本の自虐史観が取り上げられることが問題視されるようになりましたが、これはごく最近のことです。

20年くらい前でしたら、当たり前のことでした。

 

歴史の授業では、日本は過去に他国にどれだけひどいことをしてきたか。日本というのは悪い国だ、ということを延々と教えられてきました。

確かに日本は悪いこともしてきたでしょうが、それは日本に限らず世界中どの国もそうでしょう。

良い面もあれば悪い面もある。

にもかかわらず、ひたすら悪い面ばかりを教え込まれるのです。

 

100歩譲ってそれが真実ならいいでしょう。

中には嘘も含まれているのだから、ひどいものです。

例を挙げると、南京大虐殺従軍慰安婦などです。

今はインターネットで幾らでも調べられるので、それらの真偽について明るみに出やすくなっています。

恥ずかしながら、私も全て真実だと思い込んでいました。

まさか学校の先生が嘘を教えているなんて思いもよらなかったからです。

そもそもその先生たちも、自分が教えていることが嘘だとは思っていなかったのかも知れませんが。

 

このような教育をされては、自分の国に誇りを持てるわけがありません。

結果として、自分の国に興味を持たなくなります

私はそうでした。

 

海外へ行ったことのある方なら経験があるかもしれませんが、滞在先で日本のことを訊かれたことはありませんか?

これは私の体験ですが、パリのルーブル美術館を訪れた際カナダ人の方と知り合い、しばらく一緒に館内を廻っていました。

その際カナダ人の方は英語のパンフレットを、私は日本語のパンフレットを持っていました。

その方は日本語というものを初めて見たようで、物珍しそうに私に日本語について質問を投げかけてきたのです。

え~っと日本語というのは3種類の文字があって・・・などと必死に英語で説明したものでした。

その時気づいたのです。

日本のこと何も知らないじゃないかと。

 

その後日本について自分なりに色々勉強することにしたのです。

学校で学んできたこと以外に、自分から自発的に学ぶべきことがあるのではないかと。

学んでいくうちに、あれ?日本て結構いい国じゃないか。

よく考えたら日本よりひどいことしてるのに、何事もなさそうに態度の大きい国が沢山あるじゃないか。

もっと自信を持っていい、堂々としていればいいんだって。

そう思えるようになってきました。

 

もちろん反省することも大事です。

しかしそのことばかりに囚われて、縮こまる必要が果たしてあるのか?

何事もバランスが大事だと思うのです。

 

愛国心を持つ持たないは誰かから強制されるようなことではありません。

自分自身で決めればいいかと思います、というかそうすべきです。

ちなみに私には愛国心があります。

その愛国心の源は何かというと、ごはんが美味しいこと(笑)!

頓珍漢に聞こえるかもしれませんが、愛国心てそれ程壮大なものではないと思うのです。

ごはんが美味しい、そういう単純なことがきっかけなのだと。

単純だけど大事なことです。

だってまずいごはん食べさせられるって、かなり悲惨でしょ(笑)。

上手く伝わらないのは...

自分のこと、話し上手だと思いますか?

 

そう言われて、自信を持ってイエスと答えられる方は少ないでしょう。

かく言う私もそうです。

 

内容がつまらないだけならまだいいです。

私の場合は、声が小さいうえに滑舌が悪いのです。

相手から頻繁に「え?」と聞き返されました。

もう話が上手下手以前の問題です。

相手にはこちらが何を言っているか不明瞭だし、こちらも相手に伝わらずイライラ。

絶望的なコミュニケーションです。

 

とはいえ、このままでいいはずがありません。

幼い子どもなら「もうやだ!」と駄々をこねて終わりでしょうがこちらは大の大人、そういうわけにはいきません。

この状況を改善しなければいけないのです。

 

まず問題点を順番に解決していくことにしました。

 

根本的な解決策として、声の小ささをどうにかすることにしました。

オペラ歌手のような大きな声を出す必要はありませんが、とにかく相手に聞き取ってもらえる声を出す必要があります。

何故自分の声が小さいか考えたところ、口をちゃんと開かずに話していたことに気づきました。

そのせいで声が明瞭に発声されず、こもり気味になっていたのです。

 

なので、そこから気をつけて話すようにしました。

そうすると、声の小ささと共に滑舌の悪さも改善されてきました。

プロの腹話術師ならともかく、口を開かずに聞き取りやすい声を出すことなど無理だったわけです。

 

次に話の内容が上手く伝わらないことについて考えてみました。

例えば10伝えたいことがあるとしましょう。

私は10全てを伝えようとしていたのです。

芸人さんのような普段からトークの上手い方ならともかく、こちらは素人。

無理がありました。

10全てを伝えようとするから、ダラダラと長くなってしまい、結局何が言いたいのか伝わらない。

聞かされる方は地獄です。

 

なのでこの10全てを伝えようとすることを止めました。

ここは絶対に外してはいけないというところから伝える、まず10のうち3を伝えるところから始めてみました。

こちらとしては3だけ伝えればいいのだから、幾分か気が楽になりました。

そしたら相手にも上手く伝わったのです。

こちらの説明不足な点等については、相手から質問されるので、その都度答えました。

5、6、7と伝えたいことが肉付けされていったのです。

 

10全てを伝えるには至りませんでしたが、問題ありません。

相手が望んでいなかったからです。

そう、相手はそもそも7程度の情報で事足りたのに、私は10全てを与えようとしていたのです。

 

以前の私に決定的に欠けていたもの、それは相手への配慮でした。

相手のことを全く思いやっていなかったわけではありませんでした。

むしろその逆のつもりでした。

でも伝わらなかったのは、結局独りよがりなだけだったのです。

 

接しているのは、あくまで人です。

小手先のスキルを全否定するつもりはありませんが、重要なのは伝えようとする気持ちです。

あまり精神論的なものは好きではありませんが、大事なことだと思うのです。

自分自身で経験したことで、身をもってそう実感しました。

お互い気持ちの良いコミュニケーションをとれた方が幸せですしね。

自分に軸を持て

タイトルの通りのセリフを度々聞きますね、自己啓発系の本などで言われてそうなセリフですね。

以前は私もよく自己啓発の本を好んで読んでいた時期がありましたが、今はもう一切読みません。

だってどれも同じようなことばかり書いていますからね(笑)。

 

とはいえ、自分の中に軸を持つって大事なことだと思うんです。

この言い方、抽象的なのでもっと具体的に言います。

他人と比べない、ってことです。

 

他人と比べるとしんどいです。

例えば結婚

昔ほどではないにしろ、日本社会では結婚してこそ一人前かのような価値観が未だに蔓延っていたりします。

年齢が上がるほど、田舎へいくほどそうかもしれません(もちろんそうとは限らない場合があるので、あくまで一般論として述べます)。

何故だかよく分かりませんが、40歳を過ぎても独身だと問題人物扱いをされかねないので、その年齢までに焦って結婚する人たちもいます。

冷静に考えると分かるのですが、結婚に関心がないので単に結婚をしないという人も沢山いるわけで、その人たちが全て問題人物かというと、そんなわけないでしょう。

 

しかし、周りからの視線を恐れて特に望んでもいない結婚をするために、いわゆる婚活をして結婚をするわけです。

婚活ビジネスもそのあたりの人間心理を上手く利用しているなあと思います。

特に女性の場合は出産のリミットという事実もありますから、それを利用して焦らせるわけです。

 

婚活ビジネスを静観していると、巧みに、特に女性にお金を使わせようとしています。

結婚紹介所へ入会する以外に、身だしなみをちゃんとしましょうということで、ファッション・ヘアメイク・エステや料理・マナーなどの花嫁修業的なものや、今の女性はファイナンシャルリテラシーもないといけませんということでマネーセミナー等で勉強させるなどなど。

婚活する女性たちはほとんど真面目なのでその通りにこなそうとし、お金を使うのも惜しみません。

このビジネスモデル自体は特に問題ありませんし、ここで身に着けた知識経験などは決して無駄になりませんからとやかく言うつもりはありませんが、不安感を募らせ煽るようなやり方には少し疑問を感じざるを得ません。

 

話を戻しましょう。

ここまで頑張って結婚しようと頑張るのは、他人と比べるからなのです。

「え、まだ独身なの?」

そう後ろ指さされるのが怖いから、周りは結婚しているのにまだ自分が独身だということが恥ずかしいから、特に望んでもいない結婚をしようとする。

そういう人は沢山いるでしょう。

それをして結果幸せなら問題ありません。

未来のことなんて誰にも分かりませんから、想定外の結果が待っている可能性はいくらでもあります。

 

ただ、他人と比べて選択した結果、幸せを感じることができなければ、ただ後悔するだけです。

他人に軸を置いた分、後悔の度合いは大きいでしょう。

一方自分自身に向き合って選択したことであれば、結果がどうあれ後悔することはゼロではないにしろ少ないと思います。

 

とはいえ人間ですから、他人の目は気になります。

それでもここは一旦冷静になってみる必要があります。

あなたの選択、それ本当に自分で納得していますか?

ネガティブな人とは会わない?随分他者依存してるね

よくネガティブな人、マイナス思考の人とは会わないと主張する人がいます。

一見前向き、ポジティブな人に見えますが、私はそう思えないんです。

それってつまり他人のエネルギーを当てにしてるだけでしょ、って。

 

それは決して悪いことではありません。

車はガソリンがなくては走れませんし、馬だってニンジンが必要です。

同じく人間も飲食物以外に他人からのエネルギー、具体的には励ましの言葉等が必要な時があります。

 

タチが悪いと思うのが、自分の気分が悪くなるのを他者のせいにすることだと思うんです。

もっともらしい綺麗事を述べているけど、結局その人のことキライなだけなんでしょ、って。

人のせいにするんじゃないよ、って。

他者からポジティブなエネルギーをもらえない、じゃあ自分が与えればいいじゃないのかってことです。

私はシェフじゃねえよ

皆さん自宅での食事はどうしてますか?

自炊してますか?

お惣菜を買ってますか?

あるいは外食?

その家庭の状況により意見は分かれると思いますので、どれがベストとは言い難いですね。

単純に家計のことを考えれば自炊がいいという意見もありますが、まあ好きにすればいいんじゃないかと思います。

 

ちなみに私は自炊をしていますが、普段仕事もしていますので料理にそんなに沢山の時間や手間をかけることができません。

できない、というかやりたくないというのが正直な意見です。

更に本音を言うと、出来るだけ手抜きをしたいのです(笑)。

今でこそ「時短レシピ」とか「簡単レシピ」といったものが紹介されるようになりましたが、以前は「手抜きが悪」とでもいうように捉えられて、手が込んでいればいるほど良い、という価値観がありました。

 

例えば、家庭にもよりますが、家庭の食卓では味噌汁、御飯、メインの肉又は魚のほかに、小鉢料理が最低二品とか、まるで旅館の食事のようなメニューが求められ、お弁当には冷凍食品は使用してはならない、といったようなことが世のお母さんたちに求められていたことがありました。

一人暮らしであれば食べるのは自分だけなのである程度適当にすることができますが、家族がいればそれもなかなか難しいです。

肉じゃがを出すのに鍋のまま食卓に出す、というわけにもいきませんし。

海外と比べてみると、日本のお母さんたちは本当によく頑張っています。

家庭によってはお父さんも頑張っていますが、統計上はお母さんの方が多数派ですので、ここでは便宜上お母さんを例に出しておきます。

 

しかしこのような現象も徐々に変わっていっていると思います。

私自身は自炊するとはいえ、麻婆茄子なんかを作る際はクッ〇ドゥやうちの〇゛はんのようなものを使用しますし、冷凍食品のお世話にもなります。

あと魚を三枚におろすことはできませんし、今後もおろす気はありません。

なぜなら私はシェフではないからです。

スーパーへ行けば魚は切り身で売ってありますし、個人的にはお願いしたことはありませんが鮮魚コーナーでさばいてもらえますから。

おろせるようになった方がいいよ、という人もいるでしょうが、今のところその必要はありませんし、何よりやりたくないからです(笑)。

シェフでもないのにそこまでやらなければいけない理由が見当たりませんし、もしその必要が今後発生すれば、その時に対処すればいいと思うのです。

ほら、餅は餅屋、って言うじゃないですか。

得意な方にやっていただければいいのではないかと思うんですよね。

その為にその方々が存在するわけですから。

 

あとこれは私の偏見になりますが、何もかも自分でやろうとする、やたらと手作りにこだわる人って、仕事ができない、あるいは遅いんじゃないかと思うのです。

昔は頼れる人やサービスがそれほど普及していなかったから自分でやらざるを得なかったのでしょうが、今は色々と便利なサービスやモノがあふれてますよね。

何もかも自分で抱え込んで、ちゃんとした結果が出せずに倒れてしまう、というような悲惨なことになりかねません。

かくいう私がかつてそうでした。

頼るということを知りませんでした、楽することがいけないことだと思っていたのです。

今あるモノサービスというのは頼られる為に存在するわけですから、躊躇せず頼ればいいんです。そうしてもらえないと提供する側も利益を得れませんからね(笑)。

その楽できた分ひと休みしましょうよ。

それでハッピーになれればいいじゃありませんか。

私たち日本人というのは特に真面目すぎたのかもしれません。

もっと肩の力を抜いていいんじゃないかと思うのです。

だから何なの?

いきなりケンカ腰のタイトルですみません。

しかし、生きているとこう思うことがたまにあります。

その例の一つとして、テレビで流れる芸能ニュースで度々その感情が沸きます。

私は実際はテレビはあまり見ないのですが、ネットニュースで嫌でも目にしてしまうのです。

だから「嫌なら見るな!」と言われても、この情報過多の現代社会ではほぼ無理な話なんですよね。

 

具体例をさらに挙げると、芸能人の不倫ニュースなどがそうです。

まず最初に申し上げておきたいのは、不倫には反対です。

なぜなら周りの人に迷惑がかかるからです。

不倫をしている当事者間で終わる話ではなく、特に既婚者の場合はその家族である配偶者、子供もいればその子供にも迷惑がかかります。

そして家族に深い傷を残すこととなり、特に子供に対しては一生消えることのないトラウマを残しかねず、その親のことを信用することはないでしょう。

バレなきゃいい、と思っているのは本人たちだけです。

頭の中がお花畑状態だから気づいてないのかもしれませんが、バレバレです。

ちなみに私は職場の社内不倫に遭遇したことがあります。

私は不倫したことないですからね、念のため(笑)!

上司と同僚が不倫していましたが、周りは皆知っていました。

でも本人たちは本気でバレていないって思っていたらしいですが、あれは小学生でもわかるでしょ(笑)ってしばらく笑いの種になったものでした。

 

話を戻して、この不倫ネタってよく芸能ニュースで扱われますよね。

日本人てそんなに不倫に興味あるんでしょうか?

ワイドショーではトップニュースとして扱われることがあります。

それを見て思います、「だから何なの?」。

不倫はいけませんよ、法律上としては不法行為として扱われる許されざる行為ですよ。

けれども取り扱われ方が異常ではないですか?

これについて当事者家族たちが騒ぐのは理解できますが、何の関係もない第三者が、人によっては怒り狂いながら騒ぐ様子を見ると、いらだちや呆れるのを超えて感心すらしてしまいます。

よその家庭のことでよくもまあこれだけ・・・って。

 

この不倫ネタに夢中になれる心理とはどんなものなのでしょうか?

例えば俳優の東〇氏の不倫相手である女優の唐〇えりかさんは猛バッシングを受けましたが、皆なぜあそこまで彼女を攻撃したのでしょうか?

同じような境遇の女性たちが自己を投影していたのかもしれませんが、あのように彼女を批判して自分を正当化しているのもあるかもしれません。

私個人の視点としては、おかしな正義感からやっていることとしか思えないのですが、自分たちはあくまで正しいことをやっていると信じているのでしょう。

ただどちらにしろ、感情で動いていることには変わりないのですが。

人間に感情がある以上は仕方ないのでしょうが、度が過ぎていると言わざるを得ないときがあります。

 

とはいえ、この不倫ネタがなくなることはないでしょう。

世の人々がこのネタに飛びつき、メディア側もそれで視聴率が稼げるから流し続ける。

需要と供給が見事に合致しているわけです。

と、こうやって冷静に分析しているつもりの私も、無意識のうちに見事にメディアの罠にはまっているだけなのかもしれませんが・・・。

金の貸し借りダメ、ゼッタイ!

皆さんに質問です。

あなたの親友から「絶対に返すから50万貸して!」と泣きながら懇願されたとします。さて、あなたなら貸しますか?

 

あなたは優しい方なので、目の前で困っている親友を見捨てることはできないでしょう。絶対返すと言っているし・・・ここで信じてあげないと友達失格だよね・・・とか様々な思いが交錯することでしょう。

答えを言いましょう、絶対に貸してはいけません

なぜならその貸したお金は二度と返ってこないからです

親から言われたことありませんでしたか?

お金を貸したらあげたものだと思え、って。

かつてはそのような言い方をする大人を「何を大げさな~」くらいにしか思いませんでしたが、今となっては実感します。

 

そもそも親友に50万円もの大金を借りようとする神経が理解できません。

まず親や銀行に借りようとするのが一般的な感覚かと思うのですが、それができないということは、ブラックリストに登録とまではいかなくとも、借りることができない事情がある可能性が高いのです。

ということは返済能力がない、あるいは著しく低いとしか思えないのです。

そのような身分で親友に借金しようとは、身の程をわきまえていないにもほどがあります。

本来なら親友だからこそ、そのようなお願いはできないはずなのですが、残念ながら親友と思っているのはあなただけ、相手は(言い方は悪いですが)都合のいい金ヅルとしか考えていないかもしれません。

 

私の体験談を話しましょう。

かつて交際相手に100万円貸してくれと頼まれたことがありました。

100万円、大金ですよね。その額に躊躇したので、まず何に使うのか訊きました。

そしたら、「仲間を助けたい。」と言われました。

もう少し詳しく訊くと、投資関連のコンサルティング会社を設立したいとかでその事業資金として必要だからとのこと。

どうやらその交際相手も共同でそのビジネスをやっていくようだったのですが、まずその仲間とやらは誰なんだ?

するとびっくり仰天、その三ヶ月前にSNSで知り合ったまだ対面で会ったこともない人物だそう。電話のやりとりはしたことはあるらしかったのですが、その「仲間」のことをえらく信用していたようで、ちょっと聞いてて恐怖すら感じるレベルでした。

仲間仲間って連呼してましたからねぇ・・・『ONE PIECE』の見過ぎやろ!お前は海賊王にでもなるんか??

 

それはさておき、結論としては断りました。

やっぱりそう簡単に100万円は貸せないですよ。

あと、内容が怪しすぎません?出会って三ヶ月の人物とやすやすとビジネスやろうと思います?

ちなみに断ったら、「君がそんな冷たい人だとは思わなかった。」と告げられ、そのまま音信不通(笑)。

いやぁ・・・それなりに信頼関係築いてきたつもりだったのに、そんな簡単にダメになっちゃうのかぁ・・・そう考えると当時は落ち込みましたが、今となっては良かったと思います、こうやってネタにもなるしね(笑)。

あれから彼からの連絡は一切来ませんが、そのビジネスとやらが上手くいったかどうかは知りません、どうでもいいですが(笑)。

 

お金というのは便利な道具です。

だからこそ、ちゃんと理性をもって付き合わないと怖いなと思います。

感情をもって付き合ってしまうと、身を滅ぼします。

特に人間関係が簡単にダメになっていきます。

お金は使うものです、使われてはいけませんね!